平包みと呼ばれた平安時代~室町時代
正倉院の宝物を包んでいた布が、単に「包み」と呼ばれていた
奈良時代から、歴史は移って平安時代になり、古路毛都々美(ころもづつみ)
という名称は『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』という
平安時代中期に作られた辞書に記述されています。
古路毛都々美らしい衣類を布に包んで女性が運ぶ様子は
文治4年(1188年)に四天王寺に奉納された扇面古写経での
市場図に描かれており、平安後期での風呂敷のような使い方を
今に伝える絵図です。
南北朝時代には康永2年(1343年)の『満佐須計装束抄(まさすけそうぞくしょう)』に
「ひらつつみにて物をつつむ事」の項目に衣筥を包むときに
四隅を結ぶ順序が書かれており、包んでいる状態を「平包み」と称しています。
室町時代に入ってから、物を包む布がいよいよ「風呂」と
関わりを持つようになってきます。
将軍・足利義満の時代に京の館に大湯殿を建てた際に、
側近の大名らを接待するために風呂でもてなしました。
その折、大名らは脱いだ衣装を、それぞれの家紋が入った布に包んで
ほかの人の衣装と間違えないようにして、風呂からあがったあとは
包んでいた布の上で身づくろいをしたと言われます。
当時の風呂は、現在のように洗い場があって湯船につかる形式ではなく
いわゆる蒸し風呂だったため、蒸気を拡散して風呂場の温度を
均一にするために床にはすのこやむしろ等を敷いたとされ、
風呂で敷く布としての風呂敷という役割も果たしました。
室町時代は武家故実や伊勢流・小笠原流といった折形の礼法が
整った時代でもあり、贈答や礼式においての奉書や鳥の子紙、
水引等による包み結びの式法も広まった時代です。
さまざまな物を包む方法も増えて熨斗包みや草花包みなど
包みという名称も多く使われるようになりました。
包と呼ばれる種類が増えたことで、衣類を包んでいた平包みが示す
布の定義が曖昧になったことで、風呂で敷かれていたもので
包んだ状態を「風呂敷包み」と呼ぶようになったという推測もなされています。