風呂敷の多彩な模様について

    日本で風呂敷のような役割を果たす包む布は、布というものが
    存在し始めた頃からその歴史が始まったと考えられ、衣装の形には
    なっていない単純な布のほうが先にあることから、包んでいる布
    そのものに名称がない時代から、風呂敷のような役割をする布は
    存在していました。

    「包み」という名称で最初に歴史に登場したのは、正倉院に
    収蔵されていた御物を包んでいた専用の布で、収蔵される
    宝物の大きさなどから相応の布が使われて、収蔵品の名称が
    墨書されており、平包みの包み方で布に取り付けられた
    ひもによって収蔵物を固定し、唐櫃に収納して保管されました。

    現代において贈り物などを風呂敷を使ってきちんと包む場合、
    結納目録や婚礼内祝など、祝儀を包む紋付風呂敷は
    結ばずに平包みの右包みというのが正式な作法とされ、
    不祝儀である香典や弔用供物は左包みにします。

    正式な作法

    この包み方の作法も奈良時代に定められたもので、
    養老3年(719年)に出された法令によってそれまでの
    着物の合せ方だった左袵(さじん)を禁じて、それ以後は
    すべて右袵(うじん)にするよう改めたこと始まるとされます。

    その法令以前は現在の和服の着用方法とは逆の合わせ方の
    いわゆる左前の着方をしていたことになり、奈良時代に初めて
    右前が正しい着方に定められたことになります。

    右前が一般的となって以降は、左前は平常とは異なる合わせ方ということで
    亡くなった人に着せる合わせ方になりました。

    着物の合わせ方における右前が正しい着用方法で、
    亡くなった人の合わせ方である左前が縁起が悪いという考え方は
    風呂敷の原型でもある「包み」の正式な作法にもかかわるものとなり、
    慶事の際の贈り物では右包みにして、弔事の包み方は左包み
    というのが作法に適う包み方とされるようになりました。

    着物に合わせる

    物を包む役割をしていた布が風呂敷と呼ばれる以前から
    包む上での正式な包み方が決まっていたことになり、
    千年以上も遠い昔の奈良時代からその作法が
    脈々と守り伝えられて来たことになります。